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一人だけとっても速かった山本さん。既に500クラスのスピードには付いていけないと言われている。 |
2005年10月9日、午前中の雨も上がり決勝はドライコンディションになった。天候の変化はただでさえプレッシャーに押し潰れそうなレーサー達の頭を混乱させ、「レインタイヤは新しくないと戦闘力が落ちますよ〜。今買えば定価、決勝直前は5割り増しになります。」というショップの甘い言葉にダマされてしまう。そう俗に言う“カート屋日和”の午後。グリッドでは、なにやらもめ事が起こっていた。
「嫌だ〜ここは僕のモノだ〜!!。」
高橋が泣きながらポールポジションでダダをこねていた。朝のTTで一番時計を出した高橋は、スペシャルステージへと進み、見事に見学している下位のドライバーの期待どおりに6位へとスターティンググリッドを下げてしまった。
「いい加減にしなさい。」 じたばたする高橋を、コースマーシャルは引きずるようにして6番グリッドのファーストS1に押し込めた。
「高橋さん、どんなことも楽しまなくては。そこからのスタートで、また新たなドラマがまっているんだから。」
最年長者の今村の言葉に、高橋は嗚咽を上げながらも納得したようで、コクピットでコクリとうなずいた。それもその筈、このスペシャルステージのルールで12番手まで下げられ、一番被害を受けたのが当の今村なのである。その今村が、気持ちを切り替え、自分に不利なルールを楽しんでいるのだ。旧知の田中は「人格者の今村さんは気持ちの切替がとても旨い!イクちゃんのカートにハナクソを飛ばすだけでニコニコできるのです。」と今村の爽やかな気分転換術を絶讃していたが、額に“タコ”とマジックで書かれていることには気付いていないようだった(『これで2回目なんだからさ〜。責任はとってもらう!』今村談)。
レースは、ポールポジションから飛び出した山本が、他とは段違いのドライビングを魅せ、15秒のボーナスがあったにも関わらず、2位に半周もの差をつけ、ブッチギリの優勝を果たした。その事を山本は「いや〜ほんの僕のテクニックが凄いだけですから。」と謙遜したが、その走りに度胆を抜かれた他の参加者は、「凄い、ホントに凄い。雨や低ミュ-でのDC-ONEの性能には勝てないよな〜。」と、テクニックでは自分が一番だが、天候で不利になったことや、山本が良い道具に恵まれた為、どうしてもかなわなかったと嘆いていた。
コンストラクターポイントで1位を独走するホワイトパウダーズは5戦目にして余裕のニューシャーシTOPKART-EVOを導入して来た。その戦闘力を牧田に尋ねたところ「ハンドリングは甘味を押さえた30代マダムに好まれる感じです。立ち上がりは季節のフルーツを使ったキリリとした酸味が特徴です。」と偉そうに聞こえるように語ったが、「やっぱり分かってないんだ...。」とすぐにバレてしまった。しかしレースでは山本に次ぐタイムを出しトップを快走、優勝の可能性もあったがピットストップでエンジンの再始動に失敗、タイムを大いにロスし、下位に沈んでしまった。
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