パンサーツアーで伝説のポディウムの頂上アタック隊に指名されたのは、名門のベア山本隊でもなければ新規勢力のハーツ山下隊でもなかった。事務局長幾橋から「第5・6戦の結果を踏まえ、ポディウムの頂上を目指す隊を発表する。筑波千ルートの第一次アタックは手塚、そして第ニ次アタックは冨田。頑張って欲しい。」と、発表があった時会場にどよめきと驚きの声が上がった。それもそのはず冨田隊はいつも最終キャンプ地で頂上を目指す山本や鴨居の名サポーターとして有名で、登頂経験はない。ましてや手塚隊は地上のベースキャンプ専門の経理担当、誰も山登りをするなんて考えないメンバーだ。手塚は「レースをやる以上、やはりポディウムの頂上に立つと言うのは憧れ、最高の気分です。必ず成功させます。」と満面の笑みを浮かべていた、冨田は「実力的にはいつでもいけると思っていたので、今回は自分だと思っていました、全力でアタックします。」と力強く答えてくれた。午後4時、最初のアタックが始まった。「え〜天候は晴れ、頂上付近は風も無く穏やかな模様。」手塚からの無線が入る。最初は右足から上がった。「ただいま最終キャンプ“2位”までやってきました。いつもいる冨田さんがここにはいません。」ジョークも冴えている緊張はしていないようだ。皆の期待が高まる。「いよいよ最後の一歩です。この日の為に頑張ってきました。」視線が山頂に集まる。「突然のシャンパンの雨です……危険で立つことができません。」悲鳴にも似た遭難の知らせだった。急遽冨田隊が救援を兼ねた第2次アタックに入った。「え〜“第2位”に到着、山頂付近でしゃがんでいる手塚さんが見えます、救出に向かいます。」冨田はポディウムには慣れている、しかし「だめだ高度が高くて息が苦しい、救援には時間がかかりそうだ。」いきなり入ってきた冨田の無線に同僚の原口は驚きを隠せない様子で「二人とも一番高い所を堪能したいみたいだから、ほっときましょう。」と断腸の思いで決断を下した。そして、さっさと二人を残して皆で晩御飯を食べに行ってしまった。
第5戦のポールポジションにいきなり飛び込んで来たのが高橋だった。チームメイトの山北は「ちょっとポールポジションは身分不相応なので返上したほうがいいような気がする。」と手放しでその活躍を喜んだ。しかし6周目にスピン、あっという間にレースの主役から今村に迷惑をかける悪役になり、なんとか8位と入賞圏内でのフィニッシュtなった。高橋は「おれって“悪”が似合うのかな〜。」とニヒル路線への転向を伺わせたが「いや、主役が似合わないだけだから。」と山北は無理はしないよう注意をしていた。
第5戦で高橋に進路を塞がれてコースをショートカットし、リタイアを余儀無くされた今村だったが、第6戦も2周目に接触リタイアとなった。今村は「レースだから、ついて無い日もある、またいい時に勝てばいい。」と達観し、周りを感心させたが、チームメイトの田中(敏)に言わせると「今村さんはそんな玉ではありません。午前中にリタイアの味をしめたものだから、次に向けた一つの作戦です。」と老人的戦略的和平的休戦と発表、たんにお茶が飲みたくなっただけとは口が避けても言わなかった。
その田中(敏)も第5戦を完走間近の18周目にリアイア、8位を走行していただけに「お〜っと27号車リタイア〜残念!!」と放送されていた。さすがカート界の老舗ベアの代表だけに、人望が高いのではないかと推測される出来事だった。第6戦は5周目に早々と自分からピットに戻りリタイア、その時コントロールタワー内では「ハイ! 27号車ショートカット、注意して…、おっとそのままピットに入りました、出てくるかどうか見ててね……、あっそのままリタイアするみたいね、問題無い、問題無い…。」と大きな声で放送されていた。人望が高いというより注意人物として注目されていただけらしい。
水谷が一年ぶりにツアーに復帰した。昨年は4輪に挑戦だとか病欠だとか色々騒がれ、なくてなならないキャラクターの動向が注目されていたが、ここ筑波でようやく帰ってきてくれた。事務局もこのことに大きく注目し異例の声明を発表した。「水谷さんのように上位を脅かすこと無く堅実にはしるレーサーの復帰は大変喜ばしい限りです。今後もガンバルことなく、伝道師として他のレーサーに喜ばれる走りをみんなに教えていただきたいと思っています。」まったく、自己中心的な事務局である。 |