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サーキットにやって来た鈴木さんの赤ちゃん。大人って馬鹿だな〜と思っているかもしれない。 |
1997年8月にオープンしたツインリンクもてぎの北ショートコースで、開設以来一度も破られたことの無い記録がある。それは不滅の記録・永遠の記録と呼ばれ、更新は事実上不可能とさえ噂されていた。そう、中川吉則が2004年4月25日に記録したパンサーのコースレコードだ。
2005年5月29日、とても穏やかに一日が始まった。タイムトライヤルでは苅米がいつものようにコントロールタワーに呼び出され、イエローラインカットで怒られ、ナンバー1タイムが取り消しになるペナルティーが科せられるという、日常の風景がそこにはあるだけだった。
TTの正式結果表がはり出された時、上位3人(石井、中村、苅米)のタイムの横に“R”の文字が印刷されていた。流石に不滅の記録だけにたった3人しか破る事ができなかった。決勝ヒートではその3人に野崎を加えた4人しか破る事ができず、改めてその記録の大きさと、目の前でおこった偉業に立ち会えたことの幸せを誰もが実感していた。伝説のレコードホルダー中川は直ぐさま電話で「雨が降ればよかったのに。」という賞賛のコメントを送り祝福した。またその日の最速タイムを出し、新たなレコードホルダーになった苅米は「ポディウムの頂上よりも高い所(コントロールタワー)に登っちゃった。また怒られちゃったよ。」と呑み屋での自慢話が増えた事を喜んでいた。
レースは中村が非常識なスピードで征し、通算4勝目パンサーツアーの最多勝を更新した。中村はタイムボーナス5秒であったが、全く気にする事も無く勝利した為、ツアーでは新たな疑惑が囁かれている。『中村は5秒ストップすることが不利だとは気付いていない』疑惑だ。その事について中村に事務局長が質問している。「5+5=?、中村さんいくつになりますか?」「10です。」「正解です、では5秒+5秒=?、いくつになりますか?」「0秒です。」「不正解です。答えは8秒です。」「……」幾橋が調査にあたった為、未だに結論がでていない。
石井がパンサーツアーに新しいネタを披露した。レース序盤から2位と絶好の位置につけ、出遅れた苅米との差を広げていた石井は、3コーナーでスピードを落としきれず、コースアウト、グラベルで大きな砂埃を上げた。後方の苅米・丸塚を「ヤッター!!」と喜ばせたが、砂塵の中から突然苅米の直前に復帰、順位を落とす事無く、後続のやる気をおとした。石井はこの新ネタを“消える魔球”と呼んでいる。
パンサーツアーの新しいアイドルが人気だ、もちろん“18才”の満平だ。満平の名前がモテギの公式ブックに載ったのを見た友人知人から「お前なに考えて年齢書いてんだ!」「サバを読みすぎだろ!」「18才の意味わかっているのか?」などのラブコールが相次いだ。その事を18才の満平は「男の人達にキャ−キャ−騒がれてちょっと迷惑かな、好きな食べ物はフルーツパフェ、愛読書はヘッセです。」と週刊女性自身を抱えながらプン!プン!と言っていた。
横尾はスタートで失敗し丸塚にパスされたが、持ち前の速さで直ぐに抜き返した。その後リードを広げてピットイン。出て来ると結局丸塚の後ろでフィニッシュ、ボーナスポイントを持つ者誰もが狙っている6位入賞・ボーナス5秒減を獲得した。その事を横尾は「いや〜実力不足です。もっと上にいけると思っていたんですが、残念な結果です。」と表彰台を逃したのを悔しがっていた。6位の価値に気付いていいなさそうな横尾に事務局は「6位入賞者は次戦のピットイン時にピンクレディーのUFOを踊らなければならない」と嘘の通達を伝えた。KBFの地元のカラオケスナックでは腰の動が妙に艶かしい横尾の“ミー”姿と、嬉しそうに“ケイ”のパートを踊る関根の姿が週末に出没しているそうだ。既にスネ毛の手入れもしているという話も伝わって来ている。「ミニスカか〜考えなければ…」幾橋は衣装を発注したようだ。 |