私は天才である!私の実力を知るものは畏怖の念から「今日はイクちゃんのレースだね。」とか「イクちゃんの走りにはかなわないよ。」などと、優勝はあたかも私しか居ないように語るのだ。毎回毎回同じ事を聞くのは飽きてしまったがしょうがない、天才に生まれてしまった私のせいなのだから……。
しかし、たとえ天才とはいえ、いつもかつも勝てるわけでは無い、いいや勝つわけではないのだ。そんな時に「ちゃんとネジを閉めなきゃ駄目だよ」とか「えっ、また勝てなかったの?」などと間違った見方で勝ち誇るのは止めていただきたい。余計なお世話なのだ。私は勝てなかったのでは無い、勝たなかったのだ。嘘ではない、これにはちゃんとした理由がある。実はみなさんも聞いた事があると思うが“サーキットには魔物が棲んでいるのだ”。『え〜!!』ってなふうに驚かないで欲しい。本当なのだ、今回の榛名にも居たのだ。本当だと言う事を分かって頂く為に、そしてみなさんが魔物の餌食にならないように話をしたいと思う。じっくりと聞いて欲しい。
決勝当日サーキットは朝から雨に包まれていた。教えてあげるがこういう日は路面はウエットになる、覚えておくように。
そして、空から落ちて来る水滴の数に比例して私の気持ちもどんどんと沈んでいった。事務局長としてみんなに気持ちよくレースをしてもらいたいのだ、しかしそう言ってもいられない。「私はプロだ!」そう自分に言い聞かせ、気持ちを切り替えレースに挑む俺だった。
やはり、俺は天才だった、TTではポールとの差は僅か6秒、『今回は接戦になる』と私は直感した。
レーススタート、降りしきる雨の中俺は一筋の光明を見い出していた。「ウエットの路面は滑るから気をつけて走る!」私の頭の中を電流が走るようにこの言葉がこだました。誰も気付いていないようなのでこの紙面をかりて皆に伝えたいと思う。「ウエットの路面はドライの時よりもゆっくりと走る!」これだ!これが分かっていると、今後雨のレースでも絶対に生かせるのでキチンと覚えておいて欲しい。
レースでは左コーナーでは左に曲がり、右コーナーでは右にカートを向ける、ストレートでは真直ぐ走るなど、持てる技術の粋を駆使しつつ、俺はひと味違うドライビングで周囲の諦めともため息とも違う感嘆の声の中ドライビングを続けた。俺は美しかった、俺は速かった。周囲のカートが止まっているように感じる。やはり俺は真実の天才だったのだ。っと思った瞬間、一台の真紅のマシンがこの天才を抜き去ったのだ。「誰だワレ! んっ……77番……田中(ベア社長)さん???!!……」その者は抜き去る瞬間こちらを見てニヤリと笑い、真っ赤な口元は血に染まったかのような真っ赤な色をしていた。そして……
「ブッ!」
「???……なんなんだ!あっ!クサイ!!」
敵は強烈な一発もかましていった。
魔物だ、魔物に出会った瞬間であった。その後私は、もうこの魔物には付いて行かなかった。那須で付いて行ってスピンをしたのを学習していたので、同じ手にはひっかからない俺だった。そして、同時に勝つ事も諦めたのだった。雨は朝から降っていた。俺の心も土砂降りだった。“天才”という言葉が、榛名の雨に溶けて流れて、排水溝の中に落ちて行った……。
あの日、勝たなくて良かったと思う。魔物の為に罪も無い人を犠牲にして迄勝てないでは無いか。俺はとっても偉いな〜。
その後、田中氏とは良く会い冗談を言ったりと、とても良い関係を保っている。しかし雨の日になると「田中さん」と呼ぶと、急に険しい顔になって「師匠と呼べ」と強要されているのは言うまでもない。雨なんか大嫌いだ! |